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その後の日記(2001年12月〜2004年

2004/04/12(Mon)
やっと2年半の検査
3月に入ってからようやく休みが取れて、検査に行くことができた。
結果は問題なしということで、無罪放免。
 去年から忙しい職場に替わったことで相当にストレスを溜めているにちがいないので心配していたのだが、無事にクリアできて本当にほっとした。
 今年に入ってから知人がガンに罹ったという知らせが続いたり、Shuのイトコの人が再入院をしたりと、悪いニュースが続いていて、なんだか不安な気持ちでいたのだった。
 みんな、ほんとに、無事に過ごして欲しい、そう願うしかできないのだが…。
2003/09/29(Mon)
やっと検査
1期で手術により病巣が取りきれていれば、カメラによる検査は毎年でなくてもよい、という記事を読んだことはあったものの、検査をうけないままというのはやはり不安でもあり、8月以降休みが取れたら検査を受けようと思っていたのが、やっと検査を受けてきた。
4月の異動以来平日に休みが取り難くなっていて、実は、本人は3月に受診したまま、それっきりになってしまっていた。
 19日に、それこそ半年振りに病院に行ったら、まずびっくりしたのは、先生がみな替わっていた…。
入院中にいた先生は誰もいなくなり、3月までいらした先生も、残っているのはひとりだけ。
1年ないし2年でみな入れ替わる…。科によっては長くいらっしゃる先生もいるというのに、外科の場合は、採用されて、というのではなく、大学から派遣されて来ている先生が多いからなのだろう。それにしてもねえ…。
 検査の結果が、すべて問題なし、だったので、本当にほっとした。このところ、仕事が忙しいというか、いろいろと悩まされることが多いらしく、イライラしていることが多かったので、病気がわかる前の半年間くらい、機嫌が悪くてイライラしていたあの頃の状態に似ていたので、内心とても心配していたのだった。
本人も、腹痛があったり便に粘液状のものが混じることがあったりするので、ひょっとして再発?ということが頭から離れなかったらしい。それが、問題なくクリア、ということで、ようやく一安心できた。
 「多くのがんで、ほとんどの再発は2年以内に起きる」という。2年を無事にクリアーしたことにほんとうにほっとした。もちろん、まだ再発の不安がなくなったわけではないけれど。 
2003/06/12(Thu)
あわただしかった日々
3月は無事に過ぎたものの、4月に入ってから、我が家はとんでもなく忙しい事態に陥った。
まず、Shuの異動。今度は、通勤時間が今までの倍はかかるというところ。引継ぎやなんやかやで、仕事は休めない上に帰りも遅い、ということが続いた。
さらに4月の初めには客があり、わたしはあっちこっち走り回り、Shuは朝7時に出て行くと夜の9時過ぎまで帰らないという日々。
その後落ち着く暇もなく、入院中だった義父の容態が急変して、ついに帰らぬ人となった。
危篤状態から死を迎え、葬儀、事後処理と追いたてられるような日が続き、先週の土曜に四十九日を迎えて、ようやく一息つくことができた。
2001年の夏もわたしたちにとって忘れられないけれど、今年2003年の春も、ずっと記憶に残ることだろう。

ところで、その葬儀やなにかで忙しい最中にShuは職場の健診を受けたのだ。3月に採血したときはコレステロール値が正常範囲を少し上回っていたのが、そのときの結果は正常範囲、どころか、200mg/dlを下回っていた!
わたしも体重が2キロ体脂肪も2%落ちていて、盆と正月がいっぺんにきたよりも忙しかったこの時期で、唯一よかったことは、それだった。
寝ない、食べない(特に動物性のものはあまり摂らなかった)、動き回る、ということが、こんな効果を生むとはねえ。

義父が存命中は義母と交代で病院通いをしていたのだが、ここに来て事後のあれこれもおおかた片付き、時間を持て余すということはないものの、なんだか、手の中からずるんと大きなものが滑り落ちたような、そんな気分になっている。
2003/03/07(Fri)
無事に1年半
検査の度に心配しながらも、無事に1年半が過ぎた。
朝食を和食に替えてから、オナカの調子もいいらしく、仕事が忙しいのは相変わらずだけれど、なんとか忙しさにも身体がついて行くようになっているようだ。

今は、義父の容態も落ちついていて、なんとなくここ数年でいちばん穏やかに過ごせている。
このまま落ち着いた気分で春を迎えることができるといいんだけれど…。
2003/01/28(Tue)
ひさしぶりの更新
夏が終わってからの血糖値異常が一段落したと思ったら、年末にはとんでもないことが待っていた。
胸のレントゲンをたまには撮りましょう、ということで撮ったら、まず、レントゲン撮影の段階で、うまく写らなかったのでもう一度と言われ、さらに結果を聞いたら、ちょっと怪しい部分があるので、CTを撮ります、ということに。
手術後の無気肺の部分ではないかと聞くと、そことは位置が違うと言う。
翌日も仕事は休みだったので、すぐにでも検査を受けたかったけれど、予約がいっぱいで受けられないという。
結局次ぎの休みの26日に受けることになり、その間、ずっと転移があるのか?!という不安にさらされることになってしまった。
結果としてシロだったので、今更のことなのだが、あれはつらかった。
年末には、Shuの従兄弟が亡くなり、そのお悔やみの手伝いやらもあって、今年のお正月は、注連縄や鏡餅は飾ったものの、ほんとうになーーんにもお正月らしい準備をせずに迎えてしまった。
2002/09/18(Wed)
血糖値
昨日は月に一度の受診日だった。
先月の検査の結果がオーライだったので、何も心配しないで出かけた。
連休明けとあって、予約はしてあったものの、けっこう待ち時間が長かった。診察が済んで出てきたShuは、何やら紙を持っている。
採血の指示書だった。そこに書いてあったのは「CA72-4」という文字で、今後このマーカーも調べるらしい。
それより何よりショックだったのは、血糖値が上がっている、ということだった。前回5月の検査では正常値だったのに、先月の数値は正常範囲を超えているとのこと。
家に帰ってから、4月に職場で受けた健康診断のときのデータを捜してみた。
これは正常値で、いったい何がどうして??とすっかり考え込んでしまったのだった。
摂取カロリーを減らさなきゃとか、朝食に甘いものが多めだから、和食に切り替えようとか話し合ったのだけれど、夕方犬の散歩をしているときに、Shuが「原因がわかったよ、ジュースだ」と言った。
ああ、そうだ、ジュースか・・・。
この夏はずっと、果物や野菜のジュースを弁当と一緒に持たせていたのだった。1本もしくは2本。
以前「暮らしの手帖」で読んだことがあった。売られているジュースは、たとえ野菜や果物の果汁100%であってもかなり糖分が多いので、毎日飲むには注意しなくちゃいけないって。
4月、5月までは正常値で、その後8月に上昇というのは、暑くなってジュースを持って行くようになった時期とぴったり合うし、他にはこれといって食生活に変化はないので、食生活のほうの原因はこれしか考えられない。
で、当然ジュースは止めてお茶を持たせることにした。
で、朝食も和食に変えて、これでしばらく様子をみようと思う。
2002/09/10(Tue)
久しぶりに更新
なんやかやと忙しくて、このページもほっぽり出す寸前だったけれど、ようやくこの夏の分の更新をした。

8月13日の検査を終えて、ほっとしたのだった。
思えば去年の夏は、たいへんだった。なんとか無事に1年を過ごし、また夏を迎えられたことが本当にうれしい。
自分たちは、無事に過ごしているけれど、亡くなった方もいるし、病気が見つかったときには既にだいぶ進行していて、という方もいる。
8月9日の検査のときに、CT室の前で待っていると、ShuのいとこのFさんが、やはりS字結腸にガンが見つかったので手術をし、放射線治療に来たということで、バッタリ会ったのにはびっくりした。
他臓器には転移はないものの、リンパ節には転移があり、手術後、抗がん剤の投与も受け、更に放射線治療ということだった。そのときは通院治療だったけれど、その後すぐに入院したということで、予後が気になっている。少しでも元気になっていてくれればいいんだけど。

8月の休み中に、亡くなったOさんの奥さんと、その後初めて会った。悲しいような申し訳ないような気持ちになった。あんな気持ちは味わいたくないなあ。みんな病気に打ち克ってほしいと思う。
2002/06/05(Wed)
腹痛
骨折の後は腹痛・・・。そんなことばかり続いて、ここんとこのShuは、満身創痍の感がある。
この間の日曜に、仕事から帰ってきて新聞を読んでいたと思ったら、突然トイレに立てこもり、なかなか出て来ないので心配してたら、お腹が痛かった、それもちょっとやそっとの痛みではなかったらしく、脂汗をかいて、涙が出てくるほどだったという。
しばらくベッドで休んでいたけれど、なかなか痛みは引かず、何回かトイレに行っている間に、便通があって、それからは少しは痛みもやわらいできたようだった。
わたしもずっと前に、とある試験を受けるために根を詰めて勉強していたころにおなじような症状を起こしたことがあって、たぶん過敏性大腸症候群などと呼ばれる症状のようだった。
排便してからは、なんとか調子も治まり、それが午後4時くらいだったのだけど、夕食の時間にはなんとか痛みもなくなり、食事ができたので少しは安心したのだけれど。
                ★
わたしは、ここんとこで、大塚英志「「彼女たち」の連合赤軍」、辺見庸「眼の探索」とわりあい硬いものを読んで、今は辺見庸「屈せざる者たち」を読んでいる。これもなかなか面白い。
「眼の探索」の中で、サッカーのワールドカップがあって、印パがあやしくて、「周辺事態」のための新ガイドラインが・・・、ということがでてくるんだけど、これって、今とまったくおんなじ状況だよなあ、と思いながら読んだ。サッカーに浮かれてるうちに有事法制が、なんていうんじゃ困るんだけど。
2002/05/27(Mon)
骨折
先々週の末からShuは脇腹のあたりが痛むと言い出して、何だろうと思っていたら、なんと肋骨が折れていた。
最初は、軽い肉離れかなんかじゃないかと思っていたのだけれど、痛みがなかなか引かない。まさか内臓からくる痛みじゃないだろうなあ、といささか心配でもあったんだけれど、痛みの様子からすると、ひょっとして骨折かも、と、整形外科を受診したら、案の定だった。
痛い本人にはかわいそうだけれど、内臓じゃなくてよかった。
折れた骨がくっつくまでに4〜6週間かかるのだそうだ。調べてみたら、そういうときの痛みは1ヶ月くらい続くのだとか。それなのに、痛み止めの飲み薬は3日分しか出なかった・・・。湿布のほうは10日分くらいだろうか。
痛みがとってもひどくなったらすぐに来なさい、ということらしいけど、くっつくまで痛いのはあたりまえ、みたいな感じだったという。
仕事はほとんど肉体労働だし、休めるわけじゃないので、ほんとにかわいそうだけど、代わってやるわけにもいかないし・・・・。
2002/05/12(Sun)
術後9ヶ月の検査
10日は、3ヶ月に一度の検査だった。採血と尿検査。結果はまだ。
再診が予約制になってからは病院で待つ時間は短くなったものの、病院の近くの薬局での待ち時間は相変わらず長いので、次回からは、近所の薬局でもらうことにする。
今回も薬は4週間分処方してもらったので、次回の受診まで薬だけもらいに行く必要がなくなった。
腹痛の後は、体調もまあまあで、検査の結果次第だけれど、まあ無事に術後9ヶ月が過ぎたと言えるだろう。

ところで、わたしにとってはネットを始めたころからの友人であるうぃんままさんやこのサイトにもきていただいたことがあるHANAさんが、乳がん体験者の友人の方々と映画「地球協奏曲・第三番」の自主上映会を開くことになった。
     8月31日(土) 午後12時半会場 午後1時開演
     江戸川区総合区民ホールにて
     料金  1000円
 詳しくは上映会ホームページ→
 

この映画の監督龍村仁さんは、ロックバンド「キャロル」のドキュメンタリーを作ってNHKを辞めちゃった人だったと思う。そのドキュメンタリーが映画として公開されて、俳優座かなんかに見に行ったという記憶がある。その龍村監督がここんとこずっと作っていたのが、この「ガイヤシンフォニー」のシリーズだというのを新聞かなんかで読んだことはあったのだけど、残念ながらまだわたしは見ていない。見にも行きたいところだけど、ちょっと遠いしなあ・・・。
集○会のみなさま、上映会の成功をお祈りしています。
2002/05/07(Tue)
連休も終わり
と言っても、我が家は後半の3日間が連休だっただけで、まあ、毎年のことではあるけれど、ゴールデンウィークねえ・・、という感じだった。連休が土日月だったので、土曜と月曜はわたしは義父の病院に行く日なので、まるまる使える日は間の1日だけだったし、庭掃除をしたり、犬の散歩でちょっと遠出をしたり、そんなもんである。

Shuの体調はまあまあで、わたしも落ち込みからはかなり回復して、体調も良くなってきた。先々のことを考えすぎて、不安になるより、今できることを楽しんでおこう、そう思えるようになった。

ところで、先日薬をもらいに行ったら、4週分処方されていた。以前新聞で、この4月からは、2週間分以上は処方できないというのがなくなった、という記事を読んでいたので、4月からはそうなるのかなと思っていたら、4月の受診のときには2週間分しか処方されなかったので、どの病院でもそうなるわけではないのかなあと思っていたのだった。
これで、受診の間に薬をもらいに行かなくてもよくなるので、楽になる。
つい、忘れちゃうことがあるんだよねーー。

このところで立て続けに嶽本野ばらを4冊も読んでしまった。その後川上弘美。軟弱だなあ(笑)
2002/04/23(Tue)
腹痛は治まる
Shuの腹痛はその後治まり、大事に至ることはなかったので、一安心。仕事と胃腸が忙しかったせいだったのだと思う。さすがに疲れが溜まっていたと見え、この週末は久しぶりで連休だったけれど、どこにも出かけようとはぜす、ずっと昼寝をして過ごしていた。
わたしも先週はずっと体調が思わしくなく、イライラしやすいし、うーーん、これは更年期ってやつかぁ?とふと思った。それで、「更年期ホームページ」なるところへ行ってみた。更年期チェックとうつ病チェックをしてみたら、どちらも、ぎりぎりで「診療を受けたほうがいいでしょう」というところに引っかかってしまった。
 
更年期ホームページ→http://www2u.biglobe.ne.jp/~drt/index.htm

Shuと義母の愚痴の聞き役で、二人にとってはわたしがごみ箱みたいもんなのだが、それを今まではちゃんとごみの日にごみ袋にまとめて出せていたのが、どうもここんとこ、それがうまくできていなかったようなのだ・・・。部屋が片付けられないという人たちがいるらしいけれど、その気分が少しわかったような気がした。わたし自身は、埃と汚れは溜めても物を散らかしっぱなしということはしないのだけど、整理しようにも整理できないものがどんどん増殖して行く、そんな気分を味わった。それはわたしの場合、現実のモノではなくて、心の中の感情なんだけれど。

ところで、この間から村上春樹の「ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック」を読んでいる。冒頭に1920年代のニューヨークのガイドブックの話が出てきて、フィッツジェラルド一家がニューヨークにやってきたときはどんなだっただろうか、という記述があるのだが、その中に、「現在でいうとちょうどワールド・トレード・センターの真正面に到着するわけだが、この1906年当時にはもちろんワールド・トレード・センターの110階のビルはない。」という一節があって、これを読んだときに、今現在またワールド・トレード・センターがない、なんてことを誰が思っただろうかと、あるものが、あるべきものがきちんといつまでもあるわけではないという、最近の世界に対する不安感を感じたのだった。
高野文子「黄色い本」も手に入れた。けろさんの日記を読んでから本屋に行ってみたら、あったのでさっそく買ってきた。あの方言はほんとに懐かしい。本を読むということは、ああいうことだったんだよなあと、本の中に入りこんで自分も生きてしまうような読み方ができなくなっているのは、いったいトシのせいなんだろうか、とふと思う。
2002/04/14(Sun)
金曜に受診
12日(金)は月に一度先生に会う日で、ちょうどお腹がいたかったので、その話をしたら、痛みがひどくなったり熱が出るようなら、癒着していることも考えられるので、また来るように、と言われたらしい。
それでまた心配になったのだが、金曜の夕方、犬と散歩に行ってからは、少しずつ痛みも和らいできたようだ。
仕事が忙しいのと、異動があって歓送迎会やらもたびたびで、胃腸も忙しかったからのようだ(と思う。そうであってほしい)。
最近は元通りの感覚で飲食をしているので、ちょっとは気をつけなさいよ、というシグナルだったのかもしれない。
本人もお酒を控えめにしようと思ったらしく、昨夜はあまり飲まなかった。

わたしはといえば、昨日までなんだかものすごく落ち込んでいて、自分でもこれでだいじょうぶかなという気がしていたのだが、ようやく底を打ったのかもしれない、少しは気持ちが上向きになってきたような気がする。
昨日はなんにもする気力がなくて義父の病院から帰ってきてからごはんを食べてそのままテレビで映画を2本続けて見てしまった。
そのうちの1本は、ダイアン・キートンとメリル・ストリープの「マイルーム」。ダイアン・キートンが老父を介護するために家に残った姉で、メリル・ストリープが、出ていった妹。姉が白血病になり、骨髄移植の検査をするために息子を連れて久しぶりに再会をする、という映画なんだけど、なんだか身につまされる話で、でもこの映画を見たことによって、落ち込みの底を打ったような気もしたのだった。
息子役のディカプリオは、まだ若くてかわいかった。
2002/04/11(Thu)
お天気が悪いせいか
ここ2,3日、Shuはおなかが痛いと言っている。仕事が忙しいのもあるし、天候が不順ということも影響しているのかもしれない。
前回の診察のときにも、神経や機能が元通りになるのには2年くらいかかるから、いろんなことがあってあたりまえ、というようなことを言われたらしいけれど、痛みと言うのは、不安にさせるからなあ。
元通りになるのに2年かかるというより、その状況に身体が慣れるのに2年くらいはかかる、ということらしく、2年経っても元に戻らないものはもう戻らないと思いなさい、ということらしいんだけど。
明日は月に一度の受診の日で診療予約をしてあるので休みだけど、また土日も仕事だし、ゆっくり休めるときもないもんなあ・・・。
2002/04/09(Tue)
帰りが遅い
新年度に入ってから、Shuの勤務は、朝も遅くて夜も遅い時間帯が多いのだけど、時間どおりに帰ってきても8時くらいなのに、今は仕事が終わらないとかで、帰り着くのは10時とかになり、ご飯を食べてお風呂に入って寝るのは1時過ぎとか、そんな日が続いている。また今日も遅いのだろう・・・。
おまけに週末は隔週で仕事だし、ほんとにこれなら異動があったほうが良かったかもしれないと思うくらいだ。
ようやく義母の風邪も治ってきたので、毎日の病院通いからは解放されそうだ。気丈な義母なのに、今回は自分でも堪えたらしく、少しはわたしのいうことも聞いてくれたけど、また元気になったら無理をしてでもがんばるんだろうなあ。

HPをニフティに移して、やっと落ち着くことができそうなので、リンクしていただいているページの管理人さんに、リンク先の変更をお願いしたら、すぐにご連絡をいただいた。
中江さん、けろさん、繭さん、ありがとうございました。
2002/04/09(Tue)
帰りが遅い
新年度に入ってから、Shuの勤務は、朝も遅くて夜も遅い時間帯が多いのだけど、時間どおりに帰ってきても8時くらいなのに、今は仕事が終わらないとかで、帰り着くのは10時とかになり、ご飯を食べてお風呂に入って寝るのは1時過ぎとか、そんな日が続いている。また今日も遅いのだろう・・・。
おまけに週末は隔週で仕事だし、ほんとにこれなら異動があったほうが良かったかもしれないと思うくらいだ。
ようやく義母の風邪も治ってきたので、毎日の病院通いからは解放されそうだ。気丈な義母なのに、今回は自分でも堪えたらしく、少しはわたしのいうことも聞いてくれたけど、また元気になったら無理をしてでもがんばるんだろうなあ。

HPをニフティに移して、やっと落ち着くことができそうなので、リンクしていただいているページの管理人さんに、リンク先の変更をお願いしたら、すぐにご連絡をいただいた。
中江さん、けろさん、繭さん、ありがとうございました。
2002/04/08(Mon)
「ガン=死」?
そう思ってる人の、なんと多いことか。
以前よく行っていた居酒屋に久しぶりに顔を出したら、また入院したかと思った、元気なら元気って言ってよ、と言われてしまった。
病気のことを知ってる人にはいちいち元気ですよと知らせて回らなければいけないのかねーーー。
ガンが見つかる→入院→退院→再発→再入院→死、というイメージが、どぉーーーしてもつきまとってるようなのだ。そうなる可能性はとっても低いよ、という話はしたはずだし、心配してくるのはありがたいんだけれど、その気持ちにいちいち応えを求められると、なんだか鬱陶しいものなんですけど。

自分は他の人のことを、こんなに思いやってるのに、どうしてわかってくれないんだろう、と嘆く人がいるけれど、それはねー、あなたがお返しを期待してるからですよーー。
いや、自分はそれでいいと思ってる、と言うんだけど、それで良いんなら、そんなことこぼす必要ないわけで、自己満足は自分の領域にとどまらせておいてください。

ところで、15歳の女の子に、あなたの目は緑内障になりかけで、失明する可能性もある、といきなり診断結果を言ってしまった医師がいるらしい。なんだかねー、おうちの人ともう一回来てください、とか言えないもんかねーーー。ものすごいショックを受けたことは言うまでもなく、親御さんは、その診断をそのまま受け入れることができずに、他の病院に連れていき、もう一度みてもらったのだそうな。そこでは、視力は落ちているもの、緑内障というような症状はない、と言われたとかで、それを聞いた瞬間、女の子は、何も言わなかったものの、ぽろぽろと泣いたのだそうだ。
2002/04/05
忙しい日々
 まったくこのところ、Shuもわたしも忙しい日が続いている。Shuは、職場で大幅な異動があったため、その対応に追われているし、わたしはわたしで、義母が風邪を引き、具合が良くないので、義父の病院に毎日通っている。
 この間、Shuのいとこの方が(従兄弟と言ってももう80歳くらいらしいんだけど)亡くなって、その方は去年義父が危篤と言われたときに、遠路をお見舞いに来てくれたのだけれど、そのときに別の従兄弟に、もし義父がなくなってももう来れないだろうからと言って、お香典を預けていったのだという。その方が先になくなってしまったのだった・・・。
 義母は、ただの風邪のようだけれど、気丈な人なのにめずらしく、元気が出ないのよ、と弱音を吐いている。看病してるほうが先に、なんてこともよくある話なので、なんだか心配になってしまう。無理をせず、もっとじぶんのことを優先させればいいのに、と見ていて思うのだけれど、そういうわけにはいかないのだろう。これでは共倒れになってしまいそうな気がしてくる。介護に関して、誰かが言っていた「説得ではなく納得」ということばを思い出す。義母が自分で納得しなければ、誰がなんと言っても、自分のやり方を通すことだろう。それにしても、ほんとうにがんばるものだと思う。
 わたしはといえば、いろんなことを考えすぎて、なんだか落ち込んでいる。こんなふうに家族がどんどん落ち込んだり、具合が悪くなったりするようなやりかたっていいとは思わないのだけどなーー。うちの場合は恵まれていて、在宅で24時間介護に関わらなければならないわけでもないというのに、こんなに疲れ果ててしまうなんて・・・。
2002/03/30
年度末
 Shuは年度末の仕事が忙しいうえに、人が動いたので、送別会が立て続けで、胃腸のほうも忙しい。今日も仕事だと言うのに、夕べも帰ってきたのは1時近かった。身体の調子は悪くなさそうなので、まだいいんだけど。
 この間気がついたこと。最近わたしの便の量が多い。若いころは、なんでこんなに出るんだろうと思うくらい多かったのが、40代に入ってから少なくなっていて、なんでだろうなあと思ってはいたのだった。つまり、消化吸収されやすい動物性のものをおおく摂っていたのだろうなあ、ということ。思ったより繊維質のものが少ない食事だったのだろう。それが良くなかったのかもしれないなあ、などと、ふと思ったのだった。これからは食物繊維をたくさんとって、たくさんうんこもするのだ・・・。
2002/03/28
久しぶりに日記を
 かなり久しぶりになるけど、またぼちぼち日記を書こうと思っている。
 Shuは、半年の検査も無事にクリアして、仕事は忙しいながらも、以前と同じような生活を取り戻している。年が明けてからようやくおなかの調子も戻ってきているように思えるみたいだ。食事も術後半年をめどに、普通のもの、それまではごぼうやこんにゃく、イカ、タコなど、消化が良くないものは避けていたけれど、だんだんそういうものも摂るようにしている。
 この日記を書かなかった間に、Shuが入院していたときに一緒の部屋だった方が3人亡くなられた。再入院のときにベッドの両脇にいらした方はお二人とも亡くなった。訃報を聞くたびに、Shuはショックを受けていた。特に、先月Oさんが亡くなったのはショックだったようだ。奥さんとは顔見知りで、一緒に病院通いをしていたし、犬の散歩でも会ったりしていたので、それはわたしも同じことだったのだけれど。
 Shuの生活が普通に戻って、わたしもまた義父の病院に通う日々が戻ってきた。ここ2,3日、母が風邪気味だと言うので、わたしが続けて行っている。今日は便がついた寝巻きとバスタオルを洗わなければならなかったんだけど、なんだか、手を洗っても着替えてもいつまでも臭いような気がするなあ・・・。
 たまにする仕事の話もあって、あれこれ忙しかったけど、結局仕事の話はキャンセルになり、なんだか振り回されただけで、ばかばかしい。
2001/12/14
外来受診
 月に1度の外来受診だった。今回は検査は何もなし、問診だけ。ほんとは先週うけるはずだったけれど、どうしても休みがとれなかったので、1週ずれてしまった。そうしたら、なんとまあ、患者が少なくて、信じられないくらい早く済んでしまった。1週ずれて正解だったかも。これで、今年の受診は終わり、あとは28日に薬を貰いに行くだけだ。本人にはまだ身体のつらさはあるものの、まあ普通の生活ができていることを、ほんとうにありがたく思う。
 来月も特に検査はなく、2月は術後半年になるので、CTなど含めて、検査をするという。
2001/12/12
朝から大失敗
今日は朝から大失敗・・・。炊飯器のスイッチを入れるのを忘れてしまった。で、お弁当はギリギリでようやく間に合わせた・・・。なんたることだ。いつもより早く出るので、おかずは昨日のうちに一品用意しておいたものの、なんだか手順が悪くてとんでもないことになっちゃった。
 昨日は帰りも遅くて8時半頃だったのに、今日明日は早出で、7時前には家を出る。早く出たからといって、早く帰って来れるわけではないのがなんともねー。
 夕べ食べたほうれん草は固くて、わたしでもちょっと消化しきれてなかった。まあ、もともとわたしはオナカが丈夫なほうじゃないので、わりあい消化できないものが多いんだけど。でも、きっとShuにもあんまり良くないはずだから、気をつけよう。
 HPをみていただいた方から、メールをいただいた。2期で抗ガン剤は使わなかったけれど、1年以上経った今でもお元気でいらっしゃるとのこと。とっても安心した。わたしは「ゲルソン療法」のことを知って以来ちょっとショックを受けているのだけれど、何を食べさせたらいいのだろう・・・。今までは、これといって、食べた後に具合が悪いとか、オナカが痛いとか、不消化で困ったというようなことはなかったんだけど・・・。
2001/12/10
家の補修始まる
先週から家の改修工事を始めた。ベランダの補修と屋根・壁の塗り替え。しなくちゃと思いながらできないでいたのを、保険金ですることに。なんか皮肉なハナシだ。でも、こういうお金は使っちゃった方がいいような気もするのだ。
 で、今にも壊れそうだったベランダを壊してみたら、思ったよりシロアリの食害がひどくて、予算をオーバーしてしまいそうだ。年内に出来上がって、お正月は新しい気分で迎えられるといいなあ。
 ずっと工事の人たちが入っているので、Shuは、休みでも落ち着かない気分のようだ。体調は、まあまあのよう。
 わたしが週末から風邪気味で、オナカは壊すし、熱っぽいし、早めに薬を飲んだので、今日はだいぶ良くなってきたけど、風邪をうつさないようにしないと。
2001/12/08
かなりショックなこと
 今日義父の病院にいるときに読んだ本にかなりショックをうけてしまった。ガンに罹った医師たちが書いている本で、その中にShuと同じS字結腸ガンになった精神科の医師がいて、その人は、化学療法をやめて「ゲルソン療法」という栄養食事療法に切り替えたのだという。それはかなり厳しい食事制限がある療法のようで、これを実践するのは並大抵でないとことなのだけど、それにしても、うちでは今ほとんど肉類は食べてはいないけれど、まだまだ全然良い食事とは言えないようなのだ・・・。無塩でほぼ無脂の食事、白米もだめ、もちろんアルコールもダメ。1日に2リットルとか3リットルとかの絞りたての野菜ジュースを飲むとか。
 こんな食生活をするくらいなら、早死にしてもいいとShuなら言いそうだ。でも、再発させないように考えていたのに、こんな生活で良いんだろうかと、すごく不安になったのも事実・・・。
2001/12/05
参ったなー
 昨日の夜、日記を書いてる最中にいきなり停電。書いてたものがみんな消えてしまった。もう一度書こうかと思ってるけど、なんかめんどくさくなっちゃった。
 仕事に復帰してしまえば、口では大変でしょう、と言われながらも、結局はこき使われているみたいなのだ。昨日も帰ってきたのは9時だった・・・。
 生活が普通に戻ってからは、食事にはいささか気を使っているけれど、他はまあ普通の生活に戻ってきた。お酒も飲んでいる。先生も我慢してストレスを溜めるよりは、適当に飲んで構わない、ということだったし。ただ、飲む量がだんだん元に戻ってきているようで、それもちょっと心配ではあるけれど。
 昨日書いたことは、また時間があるときにゆっくり書くことにしよう。
2001/12/03
日記再開
今日からまた日記を再開することにした。ぼちぼちとその後の暮らしぶりを書いていこう。
 Shuは、先月術後3ヶ月めの検査を受けて、すべて異常なしだった。検査は、腹部エコー、腹部と胸部のレントゲン、血液検査。マーカーはCEAとCA19−9。どちらも異常ないとのことだった。

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